アール公式?ブログ「無からの創造」

小売業向け基幹システムの開発会社「アール」 執筆者は4名体制で、マーケティングコンサルタント、システムエバンジェリスト、システム導入コンサル、管理部門が週2回、とっておきの役に立つ/くだらない話をお届けします。(くだらない話の方が多いのですが。。。) 提供:株式会社アール(http://www.eighteen.co.jp)

2014年07月

その2 真実の大切さ



 「真実を・・・ありがとう・・・」


 映画「2010年宇宙の旅」が日本で公開されたのは1985年3月のこと。思えば、小生若干19歳で2年目の“充実した”大学生活へ向けて意気揚々としていたころだった。当時は、オールナイトフジなんていう過激な深夜番組が人気を集め、その主役はオールナイターズと呼ばれた現役女子大生たち、まさにJDブーム。バブル経済が既に始まっており、マハラジャに代表されるディスコ、お立ち台、コンパ、一気飲み、そしてデート代はすべて男性持ちという、やり手の女性にはまさに夢のような時代だったと思います。これらの代名詞となっている青田典子さん、岡本夏生さんらを思い浮かべていただければ分かりやすいですね。「メッシー君」「アッシー君」という言葉も流行しました。最近ではATMというらしい(笑)ですが、できれば避けたいものです。異色の「ネッシー君」というのもいて、こちらは実にうらやましい存在でした。そうそう、AKB48の前身?である秋元康プロデュースの「おニャン子クラブ」もこの頃です。

 当時、もう一つ大きなイベントがありました。「国際科学技術博覧会」(つくば万博EXPO‘85)が同年3月~9月まで茨城県筑波郡谷田部町(現在は6町村合併でつくば市)で開催されました。実はここに、関東を中心とした女子大生たちが各パビリオンのコンパニオンとして大量に集結したのです。各大学のミスコンの優勝者もたくさんいて、ミス青学だった○○○○○さんは民法キー局の人気女子アナになりましたね。しまった、仲良くなっておけばよかった…と、勝手な思い込みですが、社会人に成り立てのころは結構、後悔しました(爆笑)。
 小生はここ、茨城県新治郡桜村(当時はムラでした)で大学生活を過ごしていたので、冒頭の“充実した”の意味が分かっていただけるかと思います。現実的には、学内をランニング、半ズボン、サンダル、首にタオルで歩く男性と、フェリス、青学などのファッショナブルな女性が釣り合うわけもなく、彼女たちは涼しいパビリオンの中でちやほやされ、男性たちは炎天下の中、駐車場整理に追われるといった悲惨な状況でした(泣)。そういえば、1回100円の簡易トイレがたくさんあったな。

 そんな科学技術の粋を集めた祭典が行われると同時にこの映画は公開されました。25年後には、容易に宇宙(作品は木星)を行き来できるようになっていることを想像しての2010年だったのでしょうか? 公開当時はすでにスペースシャトルの飛行、宇宙ステーション設置も行われており、そう遠くない将来、現実のものとなることを期待させたものです。また、HAL9000という人工知能(AI)を持ったコンピュータが大きな役割を与えられて登場します。実はこの作品、「2001年宇宙の旅」という前作があって、混乱(人間で言う精神分裂症)したHALの思考部を停止させることを乗組員たちが企てる。賢いHALはその企てに気付き、自己防衛策として乗組員の全員殺害を実行するが、船長ボーマンの殺害に失敗し思考部を止められてしまう。続編では、HALの混乱の原因が解き明かされているのだが、乗組員には表向きの目的しか伝えず、本来の目的を伏せたまま大願を成就しようという矛盾であった。実社会では、よく見かける表と裏。しかし、AIがここまで理解し、かつ、感情を持つようになることについては…かなり複雑な心境だ。

 木星から帰還するためには、HALの宇宙船ディスカバリーを離脱用ブースターとして利用した上で木星圏内に残すしか手段がない。HALに“死んで”もらうほかないわけだ。しかし、そのストレスに耐えられず、再び混乱、暴走する可能性があるためHALにはこの事実を伝えられずにいた。不審に思ったHALは出発を取りやめようとするため、仕方なく真実を話す。そして…。


「真実を・・・ありがとう・・・」


宇宙
<あとがき>
 昔見た映画を改めて鑑賞すると、懐かしい当時の光景が思い浮かぶ。この回顧の瞬間が好きで見ていることが多い。妻は「また、昔の映画をみて…。ストーリーを知っているのに何が楽しいの?ひょっとして、若い頃を思い出したりしてないわよね」と、さらっと言ってのける。まったく…見透かされている…参りました。




HALの由来:それぞれのアルファベットを1つ後ろの文字に置き変えて並べてみると…某メーカーです(笑)

                                                           byかすみ草

その二 店長の重要な役割

super
 











 






 クロスマーチャンダイジングを成功させる最大のポイントは店舗従業員の意識改革(その気にさせる)に尽きると思います。


 それを先頭に立って引っ張っていく最大のキーマンは店長に他なりません。当然、経営層や商品部、店舗運営部のアシストも必要ですが、店舗従業員にとって一番身近な上司は店長なのです。経営層や商品部、店舗運営部の言うことも一応聞きますが、内心では「たまに来て好きなこと言いやがって、そうは言っても現場は違うんだよ」と思っている方も無きにしも非ず。

 特にベテランの生鮮担当者などは海千山千、一筋縄ではいきません。その点、店長は毎日一緒に働いている、いわば同士です。現場の酸いも甘いもわかっているはずです。

 クロスマーチャンダイジングを実施することによる店舗に及ぼすメリット、担当部門に与える相乗効果などを、店長自ら部門長会議、朝礼等で根気良く情熱を持って説明していくことが重要です。


 時には図解やデータを使っての補足説明も必要でしょう。


 そうすることで店舗従業員の意識が変わってくれば占めたものです。逆に従業員から具体的な提案や意見がドンドン上がってくるようになります。   ※特に女性従業員からの提案、意見は「目から鱗」的を得ています。


 何と言っても食品SMのお客様の大半は女性ですから…


 あとは、計画、実行、継続あるのみ。店長が旗振り役になって、アイテム選定から実施場所、試食販売の方法、販促物、実施期間などを全部門参加で計画し、実行、継続していくことです。


<ポイント>
(1) 全部門を巻き込むこと(店舗一丸となって突っ走る)
(2) 売場のレイアウト変更は店長裁量で決定(部門縦割のしがらみは一刀両断)
(3) ジリ貧、マンネリを防ぐため計画をキッチリ立てる(思いつきだけでは継続は難しい)
(4) やりっ放しにしない(結果を必ず運用面、数値面で捕らえ反省点は次に生かす)

                        ⇒これを地道に続けていくことが成果をあげていく最大のポイントです。


 思ったとおりにいかないことも数多くあるでしょう。結果が伴わないこともあるでしょう。小売業は「まさか」や「イレギュラー」の連続です。それでも、めげずにやり続けるしかないのです。「継続は力なり」

 だからと言って根性と体力だけでは物事はうまくいきません。気合だけでは、どこかのブラック企業と一緒になってしまいます。結果をデータからキチンと読み解き、検証→改善していくことが大切です。


クロスマーチャンダイジング成功のポイント‐その三 データから読み解く に続く。


 ぼくが開発を始めた頃、メーカーのリファレンスと標準ライブラリしかなかった。


なんでも自分達で作るのが当たり前だった。


 データの検索処理、高速ソート、印刷、通信。たいしたプログラムを作った訳じゃないが、動いたときは嬉しかった。いまはビジュアルも良く色々なものが作れるようになった。


 でも、楽しくないみたい。何でだろう?


 苦労しなくてもある程度はすぐできちゃう。難しいことするには手が届かない・・・のかもしれない。それに苦労してまでやる意味がいまの開発者には感じられないようだ。いくら顧客満足と言ったって、喜んだ顔を見れるのはごく一部の人間だ。結局自分の満足が得られないと楽しくはない。

 ITバブルで日本の開発は工程管理と言う事務職になった。スケジュールとお金の管理。良くわからない調整と言う名の課題。たしかに大切なことだけど、違うんじゃないの?と言いたい。

 開発工程を海外にアウトソーシングした。スタンダードに踊らされ、コストありきの開発体制。丸投げされ出来上がったものは粗悪。汚いソースコードに、整合性のないドキュメント。


 こんな状況で開発が楽しいわけがない。


 ここ何年かは開発の現場を楽しくすることを考えている。どうすればいいのかまだ答えはでない。でも、着実に世の中の動きも変わってきたようだ。同じことを考える人は少なくないのだ。アジャイルという開発手法もそのひとつだと思っている。ここ4年ほどそれに取り組んでいる。

 これだけでは変わらないが、何か社内が変わり始めたかもしれない。


 楽しい開発の現場に変わっていくことを期待し、これからも取り組んでいきたい。


楽しい開発

 

「福島県いわき市平字愛谷町」

 アールが最初に本店としたところです。
 JRいわき駅から東へ約2Kmほどの位置。2階建て、全6室のビルです。当社は2階の右端、真下の1階には仏壇屋が入っていました。仏壇屋の隣は風船屋。たしかイベント用の風船をデザイン製作していたと思います。オーナーは藤原紀香に似ていました。約10坪の事務所に社長一人社員一人。私の仕事は開発以外の仕事全部。営業、人事、総務、庶務、開発・・・その他雑用。

 さて、どんな会社でも売上がなければ成り立ちません。IT企業の当社はソフトウェア開発を受託するのが営みの第一歩になります。「営業」です。いわき市で起業したので、いわき市内、福島県にお客様を開拓することが、地理的に効率的なのは言うまでもありません。しかし、現実は厳しく、地元に都合良く仕事を見つけることは出来ず、人脈をたよりに首都圏や地方に「小売業様の基幹システム開発」の仕事を求めました。

 いわき市を起点に出張することに、起業当初はさほどハンデを感じていませんでしたが、上京や地方への出張を重ねることで、営業のベースは東京に置かなければならないと痛切に感じることになります。

 結果「東京都台東区秋葉原」というところに本店を移転しました。

 実はこの住所は非常に貴重なもので「秋葉原」と住所に入っているのは、この界隈100m×200mしかないということ。移転先同ビルの社長さんから伺い、驚きました。秋葉原は台東区なのですが、秋葉原駅は千代田区なんだそうです。電気街も千代田区、本家の秋葉原は線路の反対側。「秋葉原」という地名は電気、IT、メイド喫茶
同人誌等の文化発信拠点という知名度を確たるものにしています
が、「台東区秋葉原」は、たいして恩恵を受けている訳ではなく、ひっそりとしていました。

 最近、山手線の新駅の名前についてその命名いかんによっては「死活問題」になる等と地元の方々が綱引きを始めているようですが、秋葉原の歴史を見る限り、駅名よりも、そこで何を発信し、何が出来る、そこに何があるかが大切だと思います。鶏と卵かもしれませんが・・・・

社長ブログ_写真_バス_編集後  
 


 タイトルのバスですが、特に深い意味はなく、創業当初は早朝の高速バスで上京していたからです。

 片道3時間×2の日帰りはきつかったです。涙







 ※Wikiより引用
 秋葉原と呼称される区域の明確な定義はないが、東京都が策定した都心等拠点地区における秋葉原地区の範囲は、東は昭和通り、西は昌平橋通り、南は神田川、北は蔵前橋通りに囲まれた区域、すなわち東京都千代田区外神田一丁目・外神田三丁目・外神田四丁目・神田佐久間町一丁目・神田花岡町・神田相生町・神田練塀町・神田松永町・台東区秋葉原を指す。

株式会社アール 開発担当 かすみ草
出身:青森県  趣味:映画・テレビ


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 「天は・・・天は我々を見放した・・・」

 このフレーズを覚えている方は、一体どのぐらいいるでしょうか。そう、新田次郎著『八甲田山死の彷徨』原作、映画「八甲田山」のワンシーンです。

 ケーブルテレビのチャンネルスキャン中、偶然同映画が目に止まり、過去数回観てはいますが、とても懐かしく視聴しました。公開されたのは1977年のことでした。小生、当時まだ小学6年生でしたが、地元青森市の小学校では、授業の一環として同映画を活用、全員で映画館へ観に行った記憶があります。郷土史を学ぶ目的だと思いますが、小学生にはかなり難しいテーマだったと、大きくなって改めて感じました。

 軍隊という特殊な環境ではありますが、事前調査、計画、準備、遂行、検証、修正、組織、統制、見栄、指揮命令系統といった私たちが日々実践する社会活動の成功と失敗が見事に描かれています。弘前31連隊は、少数精鋭の小隊編成にて弘前~十和田湖~三本木~八甲田~青森~弘前の10泊11日、行程240キロ。対する青森5連隊は、現場指揮官の上官をも含む中隊編成にて青森~八甲田~三本木の2泊3日、行程50キロ。前者の行程は一見無謀なように見えますが、これも師団長クラスの「八甲田ですれ違うのがいいな」という安易な口約束がそうさせ、後者の中隊編成は、人数を増やすことでバランスを維持しようとした、いわゆる組織の“見栄”による産物となっています。結果的に、全行程で案内人を用意するなど、すべてにおいて計画通りに遂行した弘前31連隊は困難な局面はあったものの無事に帰還、青森5連隊は随行しているだけのはずの上官が途中、現場指揮権を強引に奪うなど、計画と違った行動をとったことで数多くの犠牲者を出すことになりました。計画が成功するのは「段取り8割」と言われます。5連隊は事前調査の甘さと計画の遅れによる準備不足など、どたばたしている様子もさりげなく織り込まれており、全編を通してとても考えさせられる映画でした。

八甲田山



  私たちのシステム開発プロジェクトはどうでしょうか?





 自身の経験を含めて、失敗する事例をいくつも見てきましたが、そこには3つの共通点があります。
 
 1つ目は、提案段階での事前調査が甘く、お客様が要求している事項を把握しきれていない、勘違いしているとき。この場合、本来は受注できていないはずなのですが、さまざまな見えない力関係、大人の事情によりプロジェクトが開始されるケースがあります。

 2つ目に、物理的に無理なスケジュール。1人で10日かかる作業を2人で実施すると5日で仕上がります。ただし、最初の3日分の作業は、1人でしか実施できず、しかも4日目以降の作業開始条件が先行作業の完了後という条件があると、2人で実施しても7日間を要します。このような作業の前後関係を定義し最も効率化したものをクリティカルパスと呼びますが、受注段階ではあまり意識されずに、感と経験のもと要求されたスケジュールに従い「できます」と発言してしまうことに一因があります。

 3つ目に、場当たり的な計画変更。社会情勢の変化等によるやむを得ない仕様変更は避けられませんが、その場合、現行計画への影響度を正確に調査しお客様を含めたプロジェクトチーム内での情報共有が必須となります。対外的に公表していること等を理由にスケジュールを含めた全体計画の見直しには耳を傾けず、期日までに仕上げることを旨とした天の声は、某国で起こった“ピサの斜塔”のような結果を生んでしまいます。

 休日のひとときに、映画を観ながらこんなことを考えるなんて、諸先輩方には“若造が何を言う”と怒られそうですが小生も歳を取ったかな?と思います。常日頃からお客様にご満足いただけるサービスを提供するため何をすることが大切なのか、それはやはり嘘や偽り、おごりのない、誠心誠意な対応だと改めて気付かされます。お客様に対して言いにくいこともたくさんありますが、およそ若いころは言えなかった諫言も何とか聞いていただけるようになり、これからはこれが小生の役割になっていくのでしょう。


 いやぁ、映画って本当にいいものですね。

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